迷ってみましょう広島50

 このコーナーは、積極的に道に迷うコーナーです。

 暑いですなぁ。
街歩きには良くない季節がやってきました。それでも歩くんですが。
 歩いてて感じるのは白いシャツのありがたさ。濃色の服とでは、肩と背中の暑
さがえらくちがいます。それから、冷えたタオルで顔面と首筋を冷やす。日陰を
選んで歩く。川土手も見逃さない。寺で休憩。そうそう、リュックは背中が暑い
ので、肩掛けカバンで風通しよく。とにかく、知恵を絞って暑さ対策を万全に。

 かつて広島県の島嶼部でひとつだけ、独立して市制をしいていた島がありまし
た。どこでしょうか。

 因島です。

 行きつけの散髪やのお兄さんがその因島の人なので、今度行ってみようと思っ
ているのだと話したところ、「う~ん、これって言う見所はないですねぇ」と。
大丈夫、見所なんて無くっても、歩いていれば何かしら見つかるものです。「そ
ういえば橋の下あたりに土産物屋があるって聞きましたよ。」ありがとうござい
ます。後は自力でやってみます。

 尾道からしまなみ海道を通り、向島を過ぎると、そこが因島です。因島最大の
集落は土生(はぶ)という場所で、島の南側になります。本土寄りではなく、沖
に面して最大の集落があるあたりに島らしさを感じます。その土生地区を中心に
大きな造船所や関連工場がいくつもあって、経済成長著しかった時代には造船関
係者で大変賑わったのです。
 歴史をひもといてみれば、戦国時代には村上水軍が城を築いて瀬戸内海を牛耳
っていたというのは有名な話ですね。

 ではここで問題。水軍の活躍の場が無くなった江戸時代から造船業で栄えるよ
うになった明治後半までの間、その空白期間には、因島はどうなっていたでしょ
うかー。

 その答えが、因島史料館で購入した「因島の歴史」に詳しく載っておりました
ので、ちょっと引用。まず、『豊臣秀吉が天正16年(1588)に発布した海
賊禁止令によって因島村上氏は海上で活躍することができなくなった。』その後、
陸に上がった村上氏は、関ヶ原の合戦に西軍として参戦。西軍の敗退とともに因
島から退去しなければならなくなる。そして江戸時代。『村上水軍が因島から去
って福島正則の支配下に入った因島は、純農村になった。』『農業を主とした因
島は他の一般農村と同じように経済的窮乏におちいった。(中略)その経済的貧
困を打開するために因島で大々的に塩田が開発され、海運業が盛んになったかと
いうと、そうでもない。』その後、薩摩芋の導入により死亡率は下がったが、も
ともと良質の田畑が少なかったために貧乏の根本的な解決には至らず、『口減ら
しのため娘を奉公に出し、娼妓に売り、生まれたばかりの子を間引きしなければ
ならなかった』とあります。

 水軍隆盛の後の極貧、その後の造船活況と現在に至る不況。栄枯盛衰と言うの
でしょうか。散髪屋のお兄さんが「見所がない」と言っていたのも、歴史的な建
造物や町並みがあまりない、ということだったのでしょう。もしも水軍が、江戸
時代になっても変わらず因島に本拠地を置いていたら、どうなっていたかなぁと
考えながら歩くのも、また楽しいものです。

 お昼は、因島史料館からほど近い「はな」というお蕎麦屋さんへ行きました。
なかなかおいしいお蕎麦で、暑さでもたれ気味の胃袋がしゃきっとしました。最
後にサービスで出してくださった蕎麦クレープの蕎麦の香りと、手作りマーマレ
ードの苦さが実にええ感じでした。

 土生へ移動し、駐車場に車を止め、いざ散策開始。でもこれが暑くてですね、
正直な話、いつもの半分くらいしか歩けませんでした。
 土生港の桟橋からほど近い場所に、商店街があります。至る所に商店街の案内
マップがあり、それを見るとたくさんのお店が頑張っているようなのですが、生
憎と訪れたのが日曜日だったので、ほとんどのお店が閉まってました。残念。
 気を取り直して山の手の方へ細い道を上がっていきますと、継ぎ足しを繰り返
して大きくなったような複雑な形をした建物や、長い廊下に窓ガラスがずらずら
っと並んでいる建物が目につきました。残念ながらそれらはすでに廃屋になって
いて人気が全くないのですが、はてこれらは何だろうかと建物周りをぐるぐる回
っておりますと、玄関に文字のかすれた看板が掛かっておりました。ははぁ、こ
れらは旅館ですわ。造船業が盛んだった頃には、きっと多くの労働者が、ここに
寝泊まりして造船所で働いていたのでしょう。
 昼には、干したシーツが風に揺れ、出入りの業者が行き交い、夕方にはすべて
の窓に灯がともり、おかずの香りが漂い、休日前夜には宴の声も響いていたかも
しれませんね。

 その後も、旅館だった建物をたくさん見かけました。飲み屋も、酒屋も、見か
けました。多くは、閉じていました。戦後すぐから70年代までは4万人を超え
ていた人口も、現在では2万6千人弱。これからこの街は、どう変化していくの
でしょうね。

 さて、土産を買って帰りますか。「橋の下あたり」って情報、あいまいだな~。
そんなので見つかるんだろうか。車を走らせます。しまなみ海道の生口島大橋が
見えてきました。そして橋の下通過。ほら~、何も無いじゃ~ん。橋の下って普
通何にもない……ん!「はっさく屋」だって!これじゃーこれにちがいない!因
島ははっさく発祥の地なのですよ。
 かくして「はっさく屋」へ突入し、本日売り切れ寸前のはっさく大福を購入!
よしっ!しかも1個サービスしてくれたりして。おじさんありがとう!

 家に帰って食べたはっさく大福は、はっさくの果実と白あんを、みかんの皮を
練り込んだ餅でくるんだ、実にさわやかな逸品。うまいわぁ、これ。はっさくの
かすかな苦みが大福全体の味に深みを与えております。大変おいしい。
 あと3個もあるので冷蔵庫に入れて少しずつ楽しもうと思ってたら、翌日には
かみさんが全部食べてました。

蕎麦はな
広島県尾道市因島中庄町仁井屋区3110-2
TEL 0845-24-2327

因島はっさく屋
http://0845.boo.jp/hassaku/
なんか近々移転するみたいですね。はっさく大福はFAXでも注文できるみたいで
すが、この注文用紙手書きじゃねーかよ。いいなぁ。

土生商店街
http://www.in-no-shima.jp/habu01.php

因島観光協会
http://innoshima.no-blog.jp/