迷ってみましょう広島43

   このコーナーは、積極的に道に迷うコーナーです。

  大崎下島にある御手洗地区へと出かけてきました。前回、蒲刈の三之瀬地区
 までしかたどり着けなかったので、今回こそはと意気込んで出かけました。

  広島を出発し、呉、広、仁方をへて安芸灘大橋へ。片道700円。ん〜高い。
 三之瀬の御馳走一番館をすぎ、蒲刈の県民の浜へも寄らず、島から島へとずん
 ずん進んでおりますと、突然道路右手にばかでかいジャングルジムが出現。あ
 っ、これ、テレビで見たことあります、日本一でっかいジャングルジムです。
 近くに車を止めて歩いて寄ってみますと、まぁでっかいですね。斜面を利用し
 て作ってあるのですが、どのくらいの高さがあるのかなぁ、3階建てのビルく
 らいありますが。
  このジャングルジムを登ったところから続く高台が、見晴らしの良い公園に
 なっていて、狭い海峡を挟んですぐ向かいの豊島の豊浜の町並みがきれいに見
 えます。斜面にへばりつくようにして、海岸線から山の手へと家々が軒を連ね
 ている様子は、いかにも島の集落らしい風景です。港には漁船がつながれ、港
 の前の細い道を軽トラックがトコトコ走り、あぁ、あの山の手にある大屋根は
 きっとお寺だな、軒先で海風に揺れる洗濯物、お、沖から漁船が帰ってきて…
 …などと眺めていると、時間が経つのを忘れてしまいそうです。 

  もっと見ていたい気持ちをぐっとこらえて車を走らせます。海風が気持ちい
 いですね。時折見える透明なエメラルドグリーンの海が実に美しい。いいなぁ。
 実際に住んでみると色んな苦労があるんだろうけども、それを差し引いても、
 僕はやっぱり海辺がいいなぁと思うのです。なんででしょうね。

  と、急に道沿いに集落が増えてきました。雁木の見事な港が二つ連続してた
 りして。見ればそこかしこに「大長」の文字。はぁはぁ、ここがあのミカンで
 有名な大長ですか。随分遠い場所というイメージがあったんですが、橋がつな
 がると広島からでもすぐですなぁ。ここもまた来てみなくては。

  その大長から5分と走らないうちに、御手洗地区へと着きました。びっくり
 したのは観光客の数です。土産物屋横の駐車場も満杯です。うわ、これはまい
 ったなぁと思っていたら、少し離れたところにある公設の無料駐車場はガラガ
 ラ。車を止めて、いざ散策に出発。

  集落までの途上にある先ほどの土産物屋前でガイドマップをもらいます。丁
 寧なイラストのマップで、大変分かりやすいですね。これさえあれば、町中を
 楽しく歩けそうです。
  ちなみに、ちょっと駐車場をのぞいてみますと、ほとんどの車が広島と福山
 ナンバーでした。今のところ、県外よりも県内からの観光客が多いようですね。

  地図を見ながら、最初に裏通りへと入れる道を選んでみました。やっぱり人
 気のない裏通りが良いんだよなと思って入り込んでみたのですが、なんと裏通
 りにも、僕同様にマップを手にした観光客がたくさんぶらぶらしているではな
 いですか。うわー、なんじゃこれは。すごいことになってますね。僕が思って
 いた以上に、御手洗、人が押し寄せてます。もう何年としないうちに土産物屋
 やお店が増えて……ってことになるのかなぁ。それはそれでちょっと心配なと
 ころもありますが。

  それでもなんとか人気のないところはないかと、小学校跡地から山へと続く
 階段を上ってみたのですがここにも人・人・人……。これはまいったなぁと思
 っていたところ、階段からちょっと外れたところにある墓地に、案内板が設置
 してあるのがちらりと見えました。墓地に案内板とは珍しいですね。あそこな
 ら人もいないようですし、見に行ってみましょう。

  墓地に近づくと、そこに設置してあるお墓が、皆小さな古い墓石であること
 に気づきました。かわった墓地だなぁと思いつつ案内板に目をやると、そこに
 は「遊女の塔」と記してあり、ここにある多数の墓石がかつてこの島で亡くな
 った遊女や童子、それに関わった人々の墓であること、永らく土に埋もれてい
 たこれらの墓石が急傾斜防止工事に伴って発掘されたこと、その後、人権思想
 啓発のためにと多額の寄付があり、また地元の人々や島外の人々の募金もあわ
 せ、遊女たちを偲び、海を眺めるこの場所に墓石を移築したことなどが書かれ
 ていました。

  今まで、県内の港町をいくつも回ってきました。港と言えば男の力仕事。一
 日の仕事を終え、日銭を得たら、酒を飲み、肴を食らい、大声で笑い、でも、
 それだけじゃないでしょう。それだけなはずがない。女を買いに走るはずだ。
 でも、どの港へ行っても、どの資料館へ行っても、その痕跡がない。まるでそ
 んなこと無かったかのように何もない。おかしいじゃないか。いままでずっと
 そんな疑問を持っていたのですが、それに対する答えの一つがここにありまし
 た。ずっと胸につかえていた物がすっとなくなったような気分に、そして遊女
 の墓をこんな見晴らしの良い場所に設置し直した人々がいることに、とても軽
 やかな気分に、なったのでした。

  それから集落の中をぐるぐる回って、若胡屋という茶屋(遊女派遣業)の建
 物が保存されていること(現在は中に入れません)、遊女を沖に停泊中の船ま
 で運ぶ「おちょろ船」が今も受け継がれていること、資料館でも遊女のことを
 町の経済を担った存在としてしっかりと取り上げていることなど、遊女の歴史
 を風化させまいと努力されている人がたくさんいるんだなぁと思えることにた
 くさん出会いました。良いことだと思いました。

  一番面白かったのは「江戸みなとまち展示館」の2階で見た資料についてい
 た解説です。その資料は若胡屋の帳簿らしく、いつ、誰が客として来たかが記
 してあるのですが、そこに長崎から江戸へ向かう途中のオランダ商館員が載っ
 ているのです。以下、その解説文。
  「例年のごとくオランダ商館員たちは江戸へ向かいました。1814年(文
 化11)1月23日、御手洗に立ち寄った彼らは、長崎の丸山遊郭で遊び慣れ
 ているのでしょうか、何のためらいもなく若胡屋へ赴きました。金2両を支払
 い、遊女5人・芸子5人と遊興に耽りました。翌日、彼らは慎み深い人間にな
 りすまし、隣の大長集落にある宇津神社へお参りしています。昨夜のことなど
 忘れてしまったのでしょうか。」

  御手洗へ行ったら、ぜひ遊女たちの墓を訪れてください。町巡りがより味わ
 い深いものになるとおもいますよ。

                             by 自転車