迷ってみましょう広島39

   このコーナーは、積極的に道に迷うコーナーです。

 迷ってみましょう広島39

  暑いですね。天気予報によれば、この先しばらくは30度越えの日が続くの
 だそうで。少しは手加減して欲しいものです。
  ふうふう言いながら外から帰ってきて蛇口をひねったら、お湯が出てくるこ
 とありませんか。あれってちょっと寂しい気分になるんですよね。餡かけそば
 頼んだはずなのに焼きそばが出てきたときみたいな寂しさに。
  でもね、それでもちゃんと水が出てくるってのは、有り難いことだと思いま
 せんか。

  ということで、広島市東区にある広島市水道資料館に行ってきました。
 水道をテーマにした資料館というのは珍しいですね。案内板を頼りに広島ビッ
 グウェーブとテニスコートとの間を奥へ奥へと進んでいくと、山すその静かな
 場所に、世間から切り取られたかのようにひっそりと資料館は建っていました。
 さほど大きくはないですが、煉瓦と石でできており、重厚な感じの建物です。
 大正13年にできたこの建物は、当然ながら原爆の爆風を浴びたはずなのです
 が、破壊された跡もなく細部まできれいなままです。

  中に入ってみますと、入り口に職員さんが一人おられるだけ。お客はどうや
 ら僕だけのようです。遠慮なく、ゆっくり見学させてもらいましょう。
  1階展示室には、広島市の水源である太田川や鮎についての展示と、一人が
 1日に使う水の量は250リットルです、とペットボトルで実際の量を体感で
 きる展示がありました。小学生が社会見学にやってきたときの説明に使うんで
 しょうね。
  2階の展示は水道の歴史について。広島市に上水道が敷設されたのは全国で
 も5番目だったそうで、日清戦争時に広島城内に大本営が置かれたのを機に整
 備されたそうです。木製の手押しポンプや敷設当時の送水バルブなど、他では
 あまり見ることのできない資料もならんでいます。興味ない人にはきっと面白
 くも何ともないんでしょうけど、こうしてちゃんと残していくことは大事なこ
 とだと思います。

  ビデオのコーナーがあったので、面白いのがないかなとのぞいてみますと、
 原爆関連の話のビデオが目に付いたので、それを再生してみました。
 話は、1945年8月6日に、自らも被爆しながら、原爆で停止してしまった
 送水ポンプを再稼働させ、広島市内が全面断水になるのを防いだ職員の堀野九
 朗さんのお話でした。堀野さんは当日は非番で、疎開した子どもに物を送るた
 め朝から広島駅まで自転車で出かけておられたそうです。B−29が見えたの
 で急いで家へ帰ろうとしていて、にぎつ神社前で被爆。左腕に火傷を負いなが
 らもなんとか送水場までたどり着いてみたところ、当日勤務していたはずの仲
 間の姿はなく、3台あるポンプは全機停止状態。独りでポンプを整備し直し、
 1台をようやく稼働できたところへ、同じく非番だった若い職員が2名駆けつ
 け、協力して修理・通電し、夕方までに3台とも稼働させたそうです。

  原爆投下直後の広島市内で、どのくらいの水道が使用可能だったのか分かり
 ませんし、想像するしかないのですが、あの日、堀野さん達の送水した水のお
 かげで九死に一生を得た人が、あるいは、火傷に苦しみながらも人生最期の水
 を飲むことができた人が、たくさんおられたのではないでしょうか。

  展示してある「給水日誌」は、8月6日分が2枚あります。1枚は、午前8
 時までの数値が記入してあって、9時以降が全く白紙のもの。もう1枚は、1
 3時から記入が始まり、その後24時まできちんと記入してあるもの。後者に
 は主任の確認印もしっかり押されていました。

  その、物言わぬ黄ばんだ日誌を見ておりますと、戦争のばかばかしさや愚か
 さ、ライフラインを維持していくことの大切さ、そして生きて居られることの
 有り難さなどが頭の中を巡り、ちょっと水道から湯が出たぐらいで文句をたれ
 たりしている自分が非常にこまい人間に思われ、情けなくなるのでした。

  それにしてもこの堀野さんの話は、初めて聞く話でした。皆さんはご存じで
 したか?知らんかったのわしだけ?とにかく、またひとつ賢くなりました。
 ありがとうございました。
                             by 自転車

水道資料館
http://www.water.city.hiroshima.jp/jigyo/library/

開館日に注意してください。