痛覚の閾値

安藤には野望があり、それは、「かかりつけ医はすべて美人女医にする」という
 かなり壮大なもの。痛い思いをする事が多い医者通い、どうせなら「美人女医」
 のほうがいいではありませんか。しかしながら、医者にかかるのは突然のことが
 多いから、前もって「美人女医」の所在をつかんでおかなくてはならない。安藤、
 現状では皮膚科(中区)、内科(中区)、眼科(府中町)をおさえてある。

 ところで一番痛い思いをする可能性のある診療科目といえば、(外科はおいとい
 て)歯科ということになると思うのだが、ここがぽっかり空白であった。が、つ
 いに美人歯科医の所在をつきとめた安藤。

 彼女は中区の甘木歯科というところに勤務している。あ、例によって、甘木とい
 うのは、某という字を分解したものだから、電話帳をめくっても(たぶん)甘木
 歯科というのはない。あったとしてもそれは偶然の一致です。年齢は、20代半
 ば。ラテン系の美貌と均整のとれた身体を持つ美人歯科医に診察台の上に半ば拘
 束され、ラテックス製の手袋をした指で口中をもてあそばれたあげくに強烈な
 (でも甘美な)痛みが与えられる(はず)。安藤、想像するだけでうっとり。

 そんな折、運良く奥歯の詰め物がとれるというなんてすばらしい出来事。歯医者
 に行かなくちゃ。行かなくちゃ行かなくちゃ。歯医者に行かなくちゃ。行かなく
 ちゃ、歯医者歯医者。ハイ!ハイ!歯医者。ゴー!歯医者!いぇい!いぇい!

 だけど、まぁ少し冷静になって考えてみると、彼女は、開業医ではなく、勤務医
 であり、彼女ご指名なんてことはできないだろうから、彼女にあたらない可能性
 が大きい。彼女にあたると限らないのに知らない歯科に飛び込むのはこわい。と
 いうわけで、とりあえず、いつもの近所の歯医者さんに行くことにする。

 歯科医師は「痛かったら左手を挙げてください」という。削り始めて、すぐに安
 藤の身体が硬直する。冷や汗が流れる。すぐに左手を挙げる。安藤が痛みに対し
 て、あまりに反応が鋭敏なのに驚いたのであろう歯科医師は。

 「痛いですか?麻酔しちゃいましょうか」
 「すごく痛いです。麻酔しちゃってください。この世のものとは思えない痛み」

 あうんの呼吸というべきである。というか、歯科医師の「麻酔しちゃいましょう
 か」の言葉にはどこか「しょうがねぇなぁ、こいつ痛がりで」というニュアンス
 が感じられるのは気のせいだろうか。歯科医師も助手も何度となく診察台の上で
 硬直している安藤に、「楽にしてくださいね」と声をかけてくれるが、麻酔をし
 たくらいでは、恐怖心までは麻痺しない。ゆえに安藤の硬直した身体はそのまま
 だ。

 とにかく、歯を削るというのは、とてつもなく痛いことなのである。削り始める
 前にいきなり麻酔をしても安藤は文句など言わない。歯およびその周辺の痛覚は
 麻酔により麻痺しているので痛みを感じることはないが、削るときの振動が頭部
 に響き頭痛がする。できれば全身麻酔で治療して欲しいくらいだ。

 うちに帰り、そのような状況を妻に説明する。

 「ほら、安藤、痛みに異様に鋭敏だからね、困っちゃうのよね。歯科治療なんて」
 「なに言っているの、あなたが臆病ものなのよ」
 「いや、そうじゃなくて、普通の人より極端に痛みを感じやすいのよ」
 「単なる臆病もの」
 「無礼なことをいうなぁ」
 「じゃ、四万歩譲って、安藤が臆病ものだとしよう。しかしそれには原因がある」

 (1)安藤はもともと痛みに対して極めて鋭敏な体質を持っている(と思う)
 (2)幼い頃からたくさんの傷を負ったため(歩けないうちからたんすに放り投げ
    られ頭部に数針相当の裂傷を負う等)、傷の痛み及び傷の治療のための痛み
    により、心的外傷を負う。
 (3)子供の頃、近所の歯科で、治療をうけたが、当時の院長の方針(子供は泣か
    せて治療する)で激烈に痛かったため、ここでも心的外傷を負う。

 つまり、もともと痛みに敏感なところに持ってきて、治療中に発生する激烈な痛
 みを緩和する策を講じてもらえず、幼少時に心的外傷を負ったため、痛みや治療
 に対して極めて臆病になった。

 「これでも単なる臆病ものというか?せめて、わけありの臆病ものといわんか」
 「単なる臆病者だと思うけど?」
 「ここまで筋道立てて説明をしてやったというのにわからないのか?」
 「なに言っているの。閾値なんて同じよ。単なる臆病ものなのよ」
 「いや、まさに閾値の問題じゃないですか」

 閾値というのは、安藤愛用の新明解国語辞典には載っていないから、一般的な言
 葉ではないのかしら。化学系の辞書には、「一般的に反応その他の現象を起こす
 ために必要な最低のエネルギーの値」とかあるし、医学系の辞書によると、「刺
 激を感じ始める点で、刺激が知覚される最低の限界値」とある。

 痛覚の閾値が1の人と、痛覚の閾値が100の人がいるとする。両者に99の刺
 激が与えられたとする。閾値が1の人には、その刺激は死ぬほど痛いが、閾値が
 100の人は痛みを全く感じないのである。

 子供の頃から、「人の痛みの分かる人になりなさい」と言われて育たなかったか。
 それはまさに、このことなのである。閾値が100の人に閾値が1の人のことは
 わからない。閾値が1の人にとって5や6の痛みがどれだけのものか、ましてや
 99の痛み。それを想像する心、そしてそれを思いやる心。

 「わが妻よ・・頼むから・・・お願いだから人の痛みの分かる人になりなさい」
 「なに言っているの。閾値なんて、ほ・と・ん・ど・同じよ。単なる臆病もの」

 だいたい、女の方が痛みに対しては頑強にできている。


 安藤トロワー@兼業主夫(本業主夫、副業会社員)