広島お好み焼きサミット

 「広島のお好み焼きは料理である。」「広島のお好み焼き店はサロンである。」
 広島の人はお好み焼きのことを話し出したらとまりません。そんな広島の人が
 大好きなお好み焼きについて語ったり、広島のことをお話するのが「広島お好
 み焼きサミット」です。
 広島お好み焼きサミットの会場はもちろんお好み焼き店、県内のお好み焼き店、
 あるいは全国各地のお好み焼き店でお好み焼きサミットのメンバーは食べ歩き
 ます。

6番目の味

 僕のサイトは広島の情報が主体なので、お好み焼きについて問われることが多い。

県外の人から
 「広島に行くんだけどどこがオススメですか?」っていうメールをいただいたり、
(せめて「お好み焼き」のコンテンツは読んでからメールしてね。)

県内の人からは
 「○○が絶対にオススメ!ぜひ行ってください!」
 というリキの入ったメールを戴いたりするのである。
 しかし、僕は普段、あまりお好み焼きって食べない。
 1カ月に1枚か2枚だから、一般的な広島市民よりも遥かに食べないだろう。
 その理由としては、

 ・食べ歩きは主として昼食時に行うが、お好み焼き店は時間がかかるため
  利用しにくい。(真っ当に焼く店ほど時間がかかるので、文句は言えない。)
 ・夕食に食べようとすると、単品になるため少々寂しい。
 ・ソースの味が甘いので、思い出しただけで「パス」することが多い。

ことによる。

 ちょっと話が飛ぶけど、僕が生まれ育ったのは県東部の府中市で、幼い頃から
 お好み焼きには親しんできた。意外かも知れないけれど、府中市ってお好み焼
 き店の件数が人口比でとても多い地域なのだ。広島市は市内に1,000店以上の店
 がひしめいており、県内でも別格だけど、それ以外の広島県内の市町村にはそ
 れほどお好み焼きの店が多いわけじゃない。
 府中市は県東部の中では異端なのだ。

 県東部の中心都市福山市は、10年くらい前までは関西式のお好み焼きが普通だ
 ったし、今でも関西式を出す店が多い。また、お好み焼き店そのものが少ない。
 しかし、そんな中で府中市だけは、昔からお好み焼き店が多かった。
 その作りも独特だ。
 広島市内で作られているお好み焼きに比べ具がシンプルで、モヤシどころか、
 店によってはネギすら入らない。肉はバラ肉ではなく、ミンチ肉。
 どこの店でも「皮+キャベツ+麺+ミンチ肉+卵」というスタイルだった。
 そういう街で育ったので、広島市で育った人とは少し異なるものの、お好み焼
 きの味はインプリンティングされている。

 それでもあの甘い味には辟易することがあるのだ。確かにお好み焼きって広島
 を代表する味だけど、これからは洗練の方向へ進むなり、ソースを各店で仕込
 むなり、そろそろ別の方向へ進むべきではないかと思う。
 いつまでも味付けに既製品を使っているようでは、いずれ飽きられる。

「最後にどっぷりと某社のソースをかけるなら、ほとんど同じ味になるじゃないか。」

 という指摘は「ある程度」正しい。
「お好み焼き」という「料理」としての将来性には以上のような問題があり、こ
 れらは解決されなければならないと思うけれど、広島のお好み焼きにはもう一つ、
 非常に重要な側面があるのだ。

 誤解を恐れずに言えば、広島の人はお好み焼き店を選ぶときに、味では選んで
 いないのだ。では何を基準にしているのか?
 僕は「懐しさとしての味」だと考える。

 つまり「懐味(なつかしみ)」。

 例をあげよう。
 広島市に住んでいれば、町内に必ず一軒か二軒はお好み焼きの店があった。
 それは多くの場合、近所のおばちゃんがパートに出る代わりにやっているよう
 な店で、同級生の○○君のお母さんがやっていたりした。
 平日の昼間に行ったりすると、お好み焼きを焼きながら「どしたん?○○君。
 今日は学校休みね?何かあったん?」と、さりげに気遣ってくれたものだ。
 そこでは昼に近所の主婦が井戸端会議場として利用し、夜には馴染みのおじさ
 んがビールを飲み、夏ならテレビの野球中継がついて(もちろんカープの中継だ)、
 クーラーがないから道路に向かって入口のドアが全開に開かれていた。
 子供にとってはかき氷を出してくれる店が多いので、それが楽しみだった。
 鉄板から直接コテで食べることができない自分に歯がゆい思いをし、「○○君
 はまだお皿が要るよね?」と、子供扱いされた悔しさを抱きつつ、少しやけど
 した舌を氷で冷やすのだ。

 また、漫画が豊富に置いてあるのも嬉しかった。
(数ページごとにソースにまみれて干からびた麺やキャベツが見つかるのだが。)

 大人が楽しそうにお喋りしているときには、どうやってその会話に入ろうかと
 考えたものだ。
 自分でも発言できそうな話題が来るのを待ち、話の流れを読み、会話の途切れ
 た瞬間を狙って意見を開陳する。一笑に付されることもあるし、感心されるこ
 ともあった。僕たちはそうやって社会性を身に付けてきたのではないのか?と
 すら思う。周りの大人たちは近所のおじちゃんやおばちゃんばかりだから、子
 供でも委縮することがなかったのだろう。それが広島のお好み焼き店の原風景だ。

 端的に言えば、広島のお好み焼き店は町内の社交場というか、サロンなのだ。
 そのような環境で育った僕たちは、お好み焼き店に対して、味以上の思い入れ
 を持つ。そもそも、旨いか旨くないかという以前に、他の店の味を知らないのだ。
「あの店は生麺を茹でで使うから、この辺では一番旨いで。」と言われても、店
 のおばちゃんと相性が良くなければ行かなかった。長じて鉄板からコテで直接
 食べられるようになり、一人でお好み焼き店へ行くようになっても、黙って他
 店へ行くことは馴染みのおばちゃんに対する裏切りのように感じられた。

 多くの広島で生まれ育った者にとって、生まれて初めての「馴染みの店」はお
 好み焼きの店である。

 馴染みの店の馴染みの味には、純粋な料理の味だけではなく、おばちゃんの人
 柄や想い出もプラスされている。だから、

 ・お好み焼きには心が入っていなくてはならない。
 ・お好み焼きは流れ作業で作ってはいけない。
 ・お好み焼きに料理的求道性を求めるべきではない。

 という人がとても多い。
「広島のお好み焼きは『人情焼き』なんだ。」と言われる理由がそこにある。

 そうした昔ながらのお好み焼き店が郊外を中心に残っている反面、広島市内中心
 部にはサロン的要素が希薄な、味で勝負する店が増加している。家賃が高く住人
 の少ない商業地で営業するのだから、当然の成り行きだろう。代表的なのが、修
 学旅行生などをまとめて引き受けたりする「お好み村」。「お好み村」でも、店
 によっては店主の個性が大きく主張されているが、それはサロンとしてのお好み
 焼き店が持っていた機能が残っているからなのだ。

 そして、郊外でも「町内のサロンとしてのお好み焼き店」より「味で勝負するお
 好み焼き店」が増加しつつある。広島に限らず、どこの街でも同様だろうが、僕
 が先に述べたような心温まる情景が少なくなってきたのだ。すると、店主の人柄
 に惚れてやってくる客が少なくなる。そして、料理の味で店を選ぶようになる。
 しかし、現状はどこも某社のソースを無批判に使っている。個性といえば(それ
 を個性と言うならば)、キムチをのせたり、納豆入れたりする程度。という状況
 なのだ。そして、僕は最初に述べた問題点を指摘することになる。

 大きな流れは以上のとおりだが、市内中心部でもサロン的要素の濃い店は残って
 おり、そういう店に行けば、一見は居づらい。何度か足を運んで「青海苔はいら
 んかったね?」などと言われるようになるまでは、周りの常連に圧倒されてしま
 うのだ。そういう店へ県外の人を連れて行くのは、とても難しい。現代的なサー
 ビスの概念がないところだから、背景を知らない人は

「えらい無愛想な店やなぁ。味付けもヨソと変わらんし、なんでこんなんが良い店
 なんだ?」

 と思うことになる。
 かくの如く、お好み焼き店の紹介は難儀なことなのだ。

 あ、そうそう。
 広島県外で思い出したので、ここに書いておこう。
 県外では広島のお好み焼きを「広島焼き」と呼ぶことが多いが、この言葉、広島
 県内ではまず使われない言葉なのだ。「お好み焼き」という食べ物を常食しない
 地域の人達が、関西と広島のお好み焼きを区別するために呼称したのだろうが、
 広島ではあまり評判が良くないし、そもそも意味が通じないことがある。年配者
 にとっては「お好み焼き」はあくまで「お好み焼き」であるため、「広島焼き」
 といっても「萩焼き」とか「砥部焼き」と同じ、焼き物のことだと思うに違いな
 いのだ。

「『広島焼き』ください。」
「えーと、デパートの食器売り場にならあると思いますよ。」

 などと真剣に漫才することになるのである。
 広島県外ではむしろ広島焼きのほうが一般的なのだろうが、広島に来られるとき
 には、あくまで「お好み焼き」であることを覚えておかれるとよろしいだろう。

 さて、話が前後して判りにくくなってきたので、本論に戻ろう。
 唐突だけど、ヒトの味覚は大きく分類して「甘鹹酸辛苦」に分けられるのは御存
 知のとおり。元々、自然界にある食べ物のうち「どれが安全な食べ物か?」を判
 断するために発達してきたものが味覚だ。

 そのため、最初から好ましく感じられる味は、毒が入っている可能性が低い
 「甘味」である。
 これは先天的に好ましいと思う味だ。小さな子供が本能的に甘い味を好むのはそ
 のせいだろう。

 次が「鹹味」。塩の味だ。
 海から進化したヒトの身体は塩分なしに維持することはできないため、一定量は
 必ず摂取しなければならない。当然、これも本能的に好ましく感じる。

 そして次が「酸味」。
 酸味というのは種類によって好ましいものと好ましくないものがあり、後天的に
 学習するタイプの味である。成長するに従い、酢の物の味が判るように、だんだ
 ん好ましく感じられる種類の味だ。

 次は「辛味」。
 辛味は味というよりも、一種の刺激であり、嬰児の頃から好んで食べたりはしない。
 本能的にはむしろ危険と判断される味だが、酸味の旨さを覚え、大人が食べてい
 るのを見て徐々に学習し、その好ましさを知るのだ。

 最後が「苦味」。
 通常、自然界に苦いものがあれば、それは毒である可能性が高い。その味を好ま
 しいと思うまでには、様々な味覚的経験を積まなくてはならず、大人になって初
 めて旨さが判る。「『苦味』を理解して、大人になる。」のだ。

 しかし、そこで僕がもう一つ付け加えたいのが「懐味(なつかしみ)」。
 甘鹹酸辛苦に加える6番目の味だ。
 子供の頃、近所のおばちゃんが焼いてくれた、お好み焼きの味。部活が終わった
 後に食べていた、青春の思い出のあの味。金がなかった学生時代に通っていたあ
 の店のあの味。それらは全て、旨いとか旨くないを飛び越して、好ましい味なのだ。
 しかし、あまりに個人差が大きく、共通認識が得られにくいのが難点。
 そして、広島のお好み焼きはこの「懐味」で語られることが多いのだ。
 オススメメールの多くは

「焼き方も材料もごくごくフツーなんですけど、ヨソに比べてなぜか旨いんです!」

 という内容である。
「おー、そうか、旨いのか。」とは思うけど、僕は食べに行かない。
 そんなことして推薦者の懐味を否定することはないと思うからだ。僕のサイトでは、
 あくまで一見の立場から、味とサービスを重視して評価している。
 それは一つの指標でしかないので「僕の評価が低い=悪い店」ではないし、指標を
 変えれば良い店になり得るのだ。

 でもときどき、そうは言いつつも、僕も懐味に捕らわれることがある。
「おー、なつかしー、昔の○○の味じゃん!」
 と喜ぶことがある。
 そして「いかんいかん、客観性に欠けてるぞ。」と思い直すことは意外に多い。

 昔を懐かしむほど古い記憶ができてしまった僕は、より大人になったということか。
 それともただ無為に年を重ねただけなのだろうか。

 お好み焼きを食べていると、ガラにもなくそんなことを考えている自分に気付いた
 りするから、なおさら食べに行かないのである。         by xiaohei